リアルタイムインターネットによって現れるもの

インターネットインフラの成長に伴い、これだけの映像・音声ストリーミングサービスやTwitterや写真共有サービスのような、即時に情報をキャッチできる様々なサービスが生まれ、いよいよもってリアルタイムインターネットの時代の到来を身をもって実感するようになってきた昨今、それらの直感的な楽しさを伝えるものや現状を冷静に分析するパブリッシュは続々と出てきているのだが、その有用性や将来性について未来を想像するようなものは未だ見かけない。

ではその将来性とはどういうものなのか?あるいは、これらが社会に溶け込む事で社会自体にどのような変化が訪れるのだろうか?といった考察することは、今後のライフスタイルやビジネスを展望する上でも、避けては通れないはずだ。

ということで、稚拙ながらも想像してみよう。

情報が、劣化をせずに発信者からダイレクトに、しかも瞬時に到達する。

リアルタイムインターネットの世界を端的に表現するなら、こういうことではないかと思うが、それにより大きく変わると想像される事の一つに、今までの商品やコミュニケーションというのは「見えるもの」を媒介して運搬され、伝搬していった。これらが情報という形のないもの、そのものが直接人間と人間の間で交換されるようになることだ。

これによってあらゆる記憶メディア、紙や磁気記録装置などがことごとく消えていくだろう。まず流通においてはそれらを必要とすることが無くなるばかりではない。恐らく人がダイレクトで瞬発力を持った情報を目の前にすれば、情報のもつ有用性の寿命もより短くなり、手元に保存したその段階でその情報は過去のものとなり、古典を閲覧するという明確な目的以外には用いられなくなる。そして殆どの情報は手元に保存しておくことすら必要とされなくなっていくかもしれない。
そして発信された情報は例えばGoogleなどの手によって、人の手元にではなく巨大なクラウドコンピュータの中に蓄積されていくようになるだろう。

僕らの手元からは巨大なストレージが姿を消し、リッチな表現や様々な形式に対応できる汎用性を持ったシンプルなインターフェイスのみが残る。そのインターフェイスを通じてサービスを享受したり、はたまた情報を直接発信、操作したりする。そのために必要な様々な拡張機能は全てクラウドコンピュータから提供されるようになる。

こう書くと、僕らの手元にはシンプルなインターフェイス以外には何も残らないようにも感じられると思うが、実の所はそうではないだろう。大昔、狼煙や灯台を使って遠くにいる仲間に情報を伝達した仕組みは、数世紀を経た今も細かな技術は変わっても同じものが今でも生き残っている。

活版印刷による書籍や新聞、 ラジオやテレビや電話など、レガシーな情報プラットフォームは時代に合わせて形を絶妙に変えながら次世代の情報プラットフォームの生まれる下地となってきた。インターネットもそれらの様々なプラットフォームをベースに生まれてきた新しい時代の情報プラットフォームの一つに過ぎないし、どれだけインターネットが発達してもそれはレガシーなプラットフォームの上に成り立っている事に変わりはない。

では、新しい時代に何が変わるのか。

それは様々なプラットフォームを駆使して行われるコミュニケーションの質、あるいはそのコミュニケーションを交換する人々自身の人間性ではないかと考えられる。事実、過去の様々な情報プラットフォームが生まれてきた中で、人々のコミュニケーションリテラシーも大きく移り変わってきた。

例えば13世紀、グーテンベルグによって印刷技術が生みだされた事により、それまでは伝聞や言伝えという不確かなものだった情報から、専門性を持ったより正確な情報を多くの人が受けとる事が出来るようになり、人々はそれらを元にしてコミュニケーションをはかることが肝要とされるようになった。簡単に言うと「常識が変わった」ということだ。

同様に、これから発展する事は間違いないであろうリアルタイムインターネットが、僕ら人間に対してより高い情報リテラシーを要求してくる事は間違いないであろう。
より沢山の情報を受けとるキャパシティの大きさや、それらを受取りアーカイブしていくプロセスのスマートさも求められるだろう。 そして何より求められると思われるのが、より多くの人間同士との直接的でかつ同期的コミュニケーション能力だ。

リアルタイムに情報が発信され、受信されるようになれば、嫌が応にも人間の感情の不確かさや不安定さを、より客観的な視点で直視せざるを得なくなるだろう。Twitterなどで著名人の付近のタイムラインが炎上するのを見れば、既にそういった状態が現実のものとなっていると判る。
情報を発信する人間も、受取る人間も、互いが互いの不確かさ不安定さを認め、そのネガティブな面を乗り越えたところでのコミュニケーションを図っていかなければならなくなる。つまり「良心」が求められるのだ。

奇しくも、人間の不正確さを補完するために生まれた様々な科学技術の集大成であるインターネットは、その人間の不正確さを人間自身に再認識させ、かつ人間性を問いかけるものとなっていく。これこそ因果応報と言わずして何と言おうか。